鐘の音の鳴る先は

※自宅64のOPに該当する話。暴力描写があります。

 「次の者、お入りなさい」

 白い大理石の床に、同じ石の柱。品良く纏められた広いホールに、朗々とした女性の声が響いた。決して大きい声では無かったが、心地良く通る声がそのホールに繋がる豪奢な扉の前にいた二人の男にも届いた。男達は互いにちらりとお互いを見た後、その声に従い歩を進めた。ぎい、と開いた扉から真っ直ぐ玉座の前まで歩を進み、毛の長い緋色の絨毯の上で頭を垂れた男達は、とても珍しかった。
 この謁見の間は吹き抜けになっており、王族の部屋の窓から階下の様子はつぶさに見られる造りとなっていた。その様子を皇女の部屋の窓からぼんやりと眺めていた少女、リボンは、その稀な彼らの姿に大きな青い目をぱちぱちと瞬かせた。
「姫様、見てください! ほら、あの人たち!」
「え、り、リボン?」
 そう言うと、白い椅子に座って読書をしていた姫の服の裾を引っ張って、リボンは彼女をその窓の前まで導いた。

 リボンは、リップルスターの第一王位継承者である皇女の付き人だ。幼い頃から常に彼女と姉妹の様に育ち、皇女の傍に居れる事を何より幸せに感じている少女だった。桃色の柔らかい髪に、大きな赤いリボンをつけ、そしてどんぐりの様な丸い瞳が可愛らしい。元気良くぱたぱたと動き回るリボンは、皇女だけではなく、王城で働く皆に愛されていた。
 そんな彼女が仕えている皇女は女王の唯一の一人娘で、現女王と非常に良く似た容姿をしている。黒く長い髪を三つ編みに結わえて大きい眼鏡をかけた、穏かな微笑みが似合う優しい人だった。それほどリボンと年も変わらないのに、落ち着いた性格と王族らしい気品に満ちていた彼女は、ぐいぐいと服の裾を引っ張るそんなリボンにくすりと笑いながらも、少し諌めるように叱った。
「こら、リボン。はしたないですよ?」
「だって姫様見て! あの人達、外の人ですよー!」
 そう言ってリボンが指差した二人は、確かにこの国の人間では無い、独特の雰囲気があった。常ならば、謁見の間には商人だとか村長だとかリップルスターの国民しか訪れないため、煤けた色の外套を羽織った旅装姿だけでもここでは十分珍しい。そして、女王に一礼をした後ぱさりと取ったフードから現れた男達の瞳は、この国では稀有な鮮やかな赤い色だった。
「本当! 珍しい…!」
「ね! ね! 二人ともかっこいいなあ…」
 リボンも皇女も彼らの姿を見て感動していた。彼女達は初めて、この星の人では無い人間に会ったのだ。一人は深い紫色の髪の、すらりとした男だった。もう一人は白髪を立たせた活発そうな男で、二人共夕焼けよりも赤い瞳をしていた。その男達はどちらもそこそこ造詣が整っていたものだから、年頃の娘であった二人は和気藹々と彼らを眺めては彼らについて喋っていた。何処の星の人だろう、とか、もし姫にもお会いしたい、なんて言われたらどうしようだとか、二人は笑いながらそんな他愛も無い話に花を咲かせていた。
 そうした話の中、ずっと男達を見ていたせいだろうか。熱い視線に気が付いたのか、白髪の男はふと顔を上げ、リボンとばちりと目が合った。彼の赤い瞳に捕らわれた途端、リボンの小さい背に言い様も無い恐怖がぞくりと這い上がった。
 赤い、泥の様な。底知れない目だ。あれは、夕焼けの色ではない。それよりもずっとおぞましい、血の色ではないか――。
「……っ!?」
 だが、そんな悪寒に息を呑んだリボンを他所に、男は彼女へにこやかに笑いかけ軽く会釈をした。とても人好きのする笑顔だった。その顔を見て、リボンは先程の悪寒は気のせいだと思う事にした。そう、気のせいだ。何をした訳でも無い人に対して、恐怖心を抱くなんて失礼だ。それに、あんなに優しそうな人なのに、とリボンはまだ震える己の体の反応を叱咤した。
「ふふ、良い人達そうですね」
「…、そう…です、ね」
 そう微笑んだ皇女の言葉に頷きながらも、リボンは男達を再び見た。途端、背に再び怖気を感じた。ぬぐってもぬぐっても消えない、嫌な予感が彼女を駆り立てたが、横で旅人を楽しげに見ている皇女には、何も言えなかった。
「…うん。きっと、気のせいだよね…」

◆◆◆

 王族と民が唯一会える謁見の間は、白い大理石に赤い絨毯が敷かれ、扉から玉座までの道には精巧な細工が施された柱が立っており、その部屋だけで芸術品と言っても可笑しくないほどの美しさだ。白亜の宮殿と言うに相応しい王城は、ここに住む国民全ての自慢だった。そして、玉座で穏かな微笑みを浮かべる女王もまた彼らの自慢だった。
 黒く長い髪を結い上げて玉座に座る女王は、決して絶世の美女では無い。だが、髪と同じく黒い瞳には理知の光が宿り、常に浮かべている微笑みからは包み込む様な優しさが伝わる。彼女は二十の時に即位してから十五年、その人柄通りの為政をし、国民に大変慕われていた。
 そんな女王の眼の前、白髪の男が一歩前に出ては、緋色の絨毯の上で恭しく膝を折った。
「お初に御眼にかかります、女王陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう…」
「ふふ、珍しい外からの来訪者ですね。我が国に来て下さり光栄に思いますよ」
「ええ、大変美しい都で…街の方も陛下の治世を讃えていました。旅人の我らにも謁見の席を設けて頂いて、陛下の優しさに深く感謝致します」
 その男――微笑みながら流暢に語られたミラの言葉に、女王もその口元を綻ばせた。国民にとっても女王は掛け替えの無い宝だったが、彼女にとっても純真な国民は宝だった。
「私の星は余り豊かでは無いもので……こんなにも美しい空の青や、草木の瑞々しさには驚きました。それに、街の活気も素晴らしい。これも陛下の治世の手腕でしょう。陛下の様な名君に出会えて、ここの民は幸せですね」
 惚れ惚れ、と言わんばかりに続けられたミラの言葉に、女王だけでなく傍に控えていた重臣や兵達も心が綻ぶ思いだった。長年治世に心を砕いてきた者達ばかりだ。国民から直接与えられる謝礼の言葉も嬉しいが、外から来た第三者の眼からこの国の素晴らしさを語られて喜ばない者はいなかった。
 そう、彼らはどこまでも善良だったのだ。
「貴方の星は、どんな所なのでしょうか」
 暫く会話が弾んだ後で女王がミラにそう問うと、彼は明るい顔を止めて、静かに続けた。
「私の瞳の様な、赤い空がどこまでも広がる星ですよ」
 それだけ言うと、ミラは一呼吸置き、立ち振る舞いを正して女王の方を見た。
「……陛下、此度私達が参りましたのは、恐れ多くも陛下にお願いしたい事があるのです」
 血の様に赤い、渇望を湛えた禍々しい眼が、女王を捉える。瞬間、心臓をひやりとした手で掴まれている様な錯覚が彼女を襲った。眼の前の男の態度も雰囲気も何も変わっていない。それだというのに、このおぞましさは何だ。得も知れぬ恐怖に僅かばかり震える女王に向かい、ミラは言葉を続けた。

「――この国の国宝、クリスタル。頂けませんか?」
「なっ…!」

 そう言った途端、目にも止まらぬ速度で女王の下へ跳躍したミラは、鍛え抜かれたその手で女王の首を捉えて締め付けた。
「頂けないなら、申し訳無いんですが……死んで貰う事になります」
 ぎちり、という音と共に気道が圧迫され、女王は必死にミラの手を引き剥がそうとしたが、その頑強な腕はびくともしなかった。
 その突然の凶行に、周囲の兵は素早く彼らを止めようと動き出した。幾ら男の手とは言え、人一人を殺すのに首を絞めて窒息させるには幾分か時間が掛かる。女王を助け出そうと兵達は男二人をぐるりと取り囲み、手にした長槍の切っ先を一斉に突き出した。その瞬間、今まで動かなかったもう一人の男、リアルの手から白刃の刃が滑り落ちたかと思えば、その槍の先端は全てすっぱりと切り落とされていた。太刀筋が見えない程早く、だった。呆然とした兵達を見て、ミラは嘲笑した。
「多数ならどうにかなると思った訳? お気楽で笑えるなぁ」
「はぁ…やったのは私なんだがな。お前は何もしてないだろうに」
「オレはほら、セールストーク担当だから。頑張ってたろ?」
「セールスって…何を売ったつもりだ」
「ハハ。そりゃあ、媚だな」
 ミラの言葉に呆れた様に肩を軽く竦めたリアルの後頭部に、柱の影に潜んでいた兵が手にした銃の狙いを定めていた。今しか無い。この死角からの攻撃ならば、そして銃ならば、どんな剣豪でも対応出来る筈が無い。馬鹿な奴等だ。こんな状況で軽口を言い合うなんて。そう思い、兵が引き金を引こうとした瞬間、彼の額は二つに割れて白い大理石が赤く染まった。いつの間には体を返したリアルが投げた短刀が、兵の頭に深々と突き刺さっていた。ばたりと血を噴出して倒れた兵に、周囲の者は悲鳴を上げた。割れた柘榴の様に頭蓋は割れ、大理石の床を血が赤く染め上げていった。
 不意打ちすら通用しない。その圧倒的な力の差に、多くの兵は手にした得物を落として逃げ出した。一部の兵はそれでもその凶行を止めようと勇敢にも挑みかかったが、彼らに傷一つ負わせる事も出来ずにその場に崩れ落ちた。立ち上がる者が誰もいなくなると、リアルは血に濡れた刃を宙で振って血を軽く落とした後、納刀した。
「ほら、早く何処にあるか教えてくれねえ? そうしないと死んじまうよ、アンタも」
「誰…が、ッ…」
 女王はこの死地に至っても、怯む事は無かった。兵を、民を殺された彼女はぎろりとミラを睨み付けて彼の腕に爪を立てた。
「……あっそ。じゃあ、話したくなるまで遊んでやるから、死ぬなよ」
 そうして楽しそうに笑うミラの顔は酷く残酷な色を含んでいた。片手で首を絞めながら、もう片手には彼が魔力で作り出した業火の玉がふわりと浮かび、彼と女王の姿を赤く染めていた。それをリアルは止める事もせず、無表情に見詰めていた。
 濃厚な血の匂いの中。そこには、二人の悪魔がいた。

◆◆◆

 人が殺される所を、初めて見た。切れば、首や腕や足が容易く飛ぶ事を知った。生きていた人間が、簡単に動かない肉に変わるのも、知った。見たくなかった。全て、知りたくなかった。
「…っひ、」
 窓の外の謁見の間で突然始まった一方的で残虐な殺人に、リボンの歯の根は合わずに、かちかちと音を鳴らした。手は大げさな程震えて、膝もがくがくと崩れ落ちそうになっていた。
 こわい。こわい。こんなのは知らない。こんな事、起こる訳無い。きっと、これは夢だ。夢のはずだ。昨日まで優しく接してくれた城の皆が、赤く染まって、もう動かないなんて、これは何て酷い夢だろう。
 震えるリボンの肩に、皇女の細い手が置かれた。その刺激に、思考を逃避させていたリボンはびくりと体を跳ね上がらせて、後ろに立っていた皇女の顔を見た。いつも薔薇色をしていた皇女の頬は、今は血の気が引いて紙の様に白くなっていた。
「ひ、ひめ、姫様…」
 見上げた皇女の表情は、リボンと違って恐れや慄きは微塵も無かった。毅然とした真剣な顔で、リボンの眼を見詰めていた。黒曜石の様な彼女の眼には、強い意志の光があった。だが、リボンの肩に置かれた彼女の手も、小さく震えていた。王族らしく強く振舞おうとしているが、彼女だって恐ろしいのだ。
 ――心細く、恐怖しているの自分だけではないのだ。従者たる自分が、主を支えないでどうする。そう思い、とにかく落ち着こうと試みた。心臓は早鐘の様に鼓動を打っていたが、呼吸を意識して繰り返す内に、足や手の震えは幾分か収まった。それを見た後、皇女は口を開いた。
「…リボン、行きましょう」
「ど、どこにですか…?」
「クリスタルの部屋です。…このまま何もしなければ、あの侵入者に奪われてしまいます」
「でも、女王様が…!」
「お母様の元へ、私達が行っても何の役にも、立てません…!」
 そう言って、皇女は悔しそうに眼を伏せた。圧倒的な力を持つ者達だ。戦う力など何も持たない皇女が迂闊に彼らの前に飛び出そうものなら人質とされて、女王はクリスタルの場所を口にするかもしれない。それだけは、何があっても避けなくてはならない。
 女王は今のままならきっと何があっても口を割らないだろう。彼女は命を賭けて、彼らの足止めをしている。彼らにクリスタルを渡すまいとしている。その意志を、継がなくては。それが今出来る、王族としての最善の行為だと皇女は思ったのだ。
「それより、クリスタルを何処かに隠さなければなりません! クリスタルは凄まじい力を秘めた魔水晶です。それが、あの者達の手に渡ったら、世界はどうなるか…!」
「あっ…!」
 皇女の発言に、リボンはますます顔を青ざめさせた。あのおぞましい程の力を持つ二人が、クリスタルを手にしたら。こんな光景が、また何処かで繰り返されるのだろうか。このままでは、この国どころではなく、世界が危ないのだ。だからこそ、女王は今も全力で抗い、皇女は非情になったのだと、リボンはようやく気が付いた。
「行きますよ、リボン。私には、貴方の助けが必要です。来てくれますね?」
「…ま…任せて下さい! 行きましょう姫様!」
 そう言い切ったリボンは、皇女の手を取った。二人は部屋を出て、長い廊下を真っ直ぐに駆け抜けた。クリスタルが安置された、宝物庫に行く為に。

 リボンと皇女は長い廊下をひたすら走っていた。普段、こんなに走る事の無い二人の息はとっくに乱れて苦しかったが、それでも足を止める訳には行かなかった。階段を降りて、地下の宝物庫に辿り着いた時には、二人の喉の奥は走りすぎたせいか血の味がした。
 リボンより日ごろ動かない皇女は、頬を紅潮させて苦しそうに大きく肩を上下させて息をしていた。それを見たリボンは、安置された彫像の一つ、白銀で造られた鷲の彫像に近寄り、その眼に埋め込まれた青白く光る宝玉を抜いた。瞬間、何も無かった壁にぽう、と扉が産まれた。この仕掛けを知っているのは、女王と皇女とリボンだけだった。昔から皇女が好きでたまらなかったリボンは、小さい頃から皇女の後ろを金魚の糞の様についていっていた。ある時、誰もが寝静まった深夜に女王と皇女が二人で人目を憚る様に宝物庫に降りていくのを見たリボンは、いつもの様に皇女の後を追いかけて、この仕掛けを見てしまったのだ。
(あの時は、酷く女王様に怒られたけれど…)
 今、少しでも皇女が休める時間を作れたなら、本当に良かった。リボンが後ろを見ると、皇女の呼吸も少し落ち着いていた様で、眼鏡の奥の黒い瞳がその扉を真っ直ぐ見据えていた。二人は出現した扉に近づき、ゆっくりと足を踏み入れた。包み込む様な温かい光が部屋の奥から漏れ出して、歩く二人の影を濃くしていた。

 クリスタルが安置された部屋は、狭く、照明が何も無い。だが、装飾が施された台の上に浮かぶクリスタル自身が、清浄な青い光をきらきらと放ち、部屋全体を美しく照らしていた。八面体に加工されたクリスタルは台座の上でゆっくりと回り、周囲にその輝きをばら撒く。
「きれい…」
「見惚れている暇はありませんよ、リボン。早く持ち出さなければ…」
 そう言ってクリスタルに皇女が恐る恐る手を伸ばすと、青白い静電気の様な電流が走り、ぱちんと手が弾かれた。驚きながらも皇女が再度手を伸ばすと、また手が弾かれた。まるで触れる事を拒むかの様だった。
「ど、どうしましょう…」
 今までクリスタルを持ち出した事は無いし、触れてみようとした事など無かった。前例の無い状況に、二人はすっかり困り果てた。
「え、えーとえーと、あ、お願いしてみるとか! クリスタル様お願いです、どうか私達と一緒に逃げてください、みたいな…」
「それは、いくら何でも…」
 リボンの提案に少し苦笑した皇女だったが、次の瞬間その目を見開いた。台座の上で輝いていたクリスタルが、リボンの言葉に従ったかの様に、ゆっくりと降りてはリボンの手の中に収まったからだ。水晶であるというのに、手に納まったクリスタルは驚く程軽かった。まさか本当に願いを聞いてくれるとは思わず、リボンは手の中で光を放つクリスタルを凝視した。
「えええええ」
 皇女が再びクリスタルに手を伸ばすと、またどういう訳かぱちんと青い火花が散った。拒まれているのか、或いはリボンが格別にクリスタルと波長が合うのだろうか。そんな事を皇女が考えていると、その様子を心細げな目で見ていたリボンに気が付いて、皇女は力強く笑いかけた。いけない。思考は二の次にするべきだった。
「とにかく、これで持ち出せます。リボン、クリスタルは貴女と波長が合うようです。そのまま持っていてくれますか?」
「あ、は、はい! 勿論です! 何があっても離しませんとも!」
 そう胸をどん、と叩いたリボンに皇女はくすりと微笑んだ。

 二人はクリスタルを持って宝物庫から出て、城の最上部へと向かった。そこに、惑星外へ出られる魔方陣があると知っていた。二人とも使った事は無かったが、使う事が出来れば侵入者から離れる事の出来る手立てだった。長い階段を登り、その先にある古びた扉に手をかけた。
 長らく使っていなかった為だろう、埃っぽい空気が漂う部屋の中央に、白く輝く魔方陣が描かれていた。人一人がその魔方陣の直径に入るぐらいの、小さな円陣だった。二人がその魔方陣に近づくと、魔方陣は人の気配を察知してか、より強く輝き始めた。
「これに乗れば、外に行けるんですか?」
「昔、お母様からそう伺いました」
「…外、かぁ」
 リボンにとって、外の世界は興味深いものだったが、今では同時に恐怖の対象だった。あんな残虐な事が出来る人が存在する世界が、恐ろしく思えた。早く行かなくてはと思うのに、その一歩を踏み出すのが、怖かった。
 迷いを抱えたリボンに気がついて、躊躇する彼女の肩に皇女は白く温かい手を載せた。顔を上げたリボンの前で、皇女は安心させる様にいつもの穏かな微笑みを浮かべた。
「大丈夫です。この国にも色んな人がいるでしょう?外の世界にいるのだって、悪い人ばかりではありませんよ。リボンの様に明るく優しい方もいますよ」
「…姫様みたいに、強くて素敵な人も?」
「ふふ、貴女は私を買いかぶり過ぎです」
 くすくすと笑う皇女につられて、リボンの強張っていた頬も緩み、一緒に微笑んだ。この、皇女の強さに憧れていた。彼女が大丈夫と言えば、きっと外もそんな悪い物じゃないと思えた。怯んでいた心がみるみる力を取り戻して行き、リボンの青い瞳に力が宿る。それを見て皇女は「さあ、行きましょう」とリボンの背を柔らかく押し、それを受けてリボンは一足先に魔方陣に足を踏み入れた。

◆◆◆

「まさか、口を割らないとは思わなかったなー」
 人気の無くなった城の廊下を、ミラとリアルは進んでいた。彼らが歩を進める度に、赤い絨毯に少しばかり黒い染みが付いていく。人がいないのは、彼らの凶行を知った使用人の殆どが逃げてしまった為だろう。こんなにも広い城の中で、音を立てるのは二人の足音しか無かった。
 ミラが言ったのは、女王の事だった。彼女は結局、死ぬまで口を割らなかったのだ。
「お前がやりすぎたんじゃないか?」
「ちゃんと加減はしてたっつーの! ま、言わなかったのは、さすがは女王様って所かね」
 首を強く締め付け、口から泡が出るほど呼吸困難に陥らせても、手足の指の骨を一本ずつ順に砕いても、彼女は口を割らなかった。では、と肉を焼き始めてからその苦痛に耐えられなくなったのか、彼女は舌を噛んで失血死した。すぐ音を上げると思っていた二人には驚く程、彼女は彼らと対峙していた。
「しかし、厄介だな。女王に聞き方をもう少し考えれば良かったな」
「あー…確かになぁ。他の奴何でクリスタルの場所知らねぇんだよ…」
 リアルに同意しながら、ミラは自分の髪をわしゃわしゃと掻いた。女王を殺した後、二人は城をずっと探索していたが、クリスタルがあるらしい部屋は一向に見つからなかった。逃げ遅れて部屋の隅に震えながら隠れていた女官を見つけて聞いても、彼女達誰もが知らなかった。クリスタルは、王族しか安置場所を知らないのだと、命乞いをしながら言っていた。
 ならば皇女から聞き出そう、と謁見の間を上から見下ろしていた、女王とよく似た風貌の少女がいた部屋に二人が向かうと、そこは既にもぬけの殻だった。あれ程の惨事を見れば、逃げ出すのは当然だろう。手がかりを無くした二人は、仕方なく皇女とクリスタルを探して王城を彷徨っていた。
「国宝だからな。そう易々と一般人が触れられない所にあるんだろう。気長に探そう」
「結局しらみつぶしか、あーめんどくせ」
 そうして嫌そうに肩を竦めたミラは、突然顔をがばりと上げた。天井を見上げる赤い眼は、一点を凝視していた。そちらをリアルが見ても特に変わった様子は見受けられず、ミラに視線を戻すと、彼はぼそりと呟いた。
「魔力の波動がする」
「…クリスタルか?」
「分かんねえけど、調べる価値はありそうだ」
 それだけ言うと、ミラは上に向かって駆け、その後をリアルも追った。階段を何階分か駆け上り、城の上層部と思われる場所まで辿りつくと、魔力の波動が一層と濃くなったのを感じた。魔法を得手としないリアルですら分かる程の、濃密な魔力の匂いだった。その確かな力の存在に、ミラはごくりと喉を鳴らした。
 悲願の為の力が、もうすぐ手に入るかも知れないのだ。灰となったゼロ。彼がいない事実が、世界が、ミラはどうしても許しがたかった。彼を再び蘇らそうと思っても、命を創る禁忌の術はミラでは力量不足だった。幾度と無く挑戦したが、人の形にすらならない失敗作が出来るばかりで、同時に呪術の負荷としてミラの体にも激しいダメージが残った。ようやく成功したゼロも、以前の記憶は無くし、体も未熟のままで産まれてしまった。けれど、クリスタルを得られれば、きっと。ゼロはかつてのゼロになり、星の戦士を殺すだけの力が手に入るだろう。そうしたら、また、三人で笑い合える日が来る筈なのだ――。

 リボンが魔方陣に足を踏み入れると、白い光がぼう、と強く輝いて彼女の体を柔らかく包んだ。体が次第に透き通る不思議な光景を眺めていると、遠くから二つの足音が聞こえ、皇女とリボンは揃って肩をびくりと震わせた。来る。あの、悪魔達が。そう思うと、先ほど眼下で起きた惨劇が脳裏に蘇り、リボンの喉の奥はひゅう、と鳴った。
「ひ、姫様! 姫様も早く…!」
 そう言って皇女に向かって伸ばした手は、握られる事は無かった。リボンの方に一度だけ微笑みかけると、皇女は扉の方へ真っ直ぐ歩んで行った。
「…今からでは、間に合いません。貴女は行きなさい、リボン。転移するまで、私があの者達を足止めします」
 皇女が言ったその言葉に、リボンは驚愕した。あの悪魔達の元へ、姫が。どんな事をされるのか、想像しただけでリボンは心臓が張り裂けそうな思いをした。
「そんな、姫様! 駄目です、私が行きます!」
 皇女を止めようと、リボンが魔方陣から足を出そうとすると、途端鋭い声が飛んだ。
「駄目です! …大丈夫、貴女がクリスタルを手にしている限り、クリスタルはきっと貴女を守るでしょう。どうか、私の代わりにクリスタルを守って下さい」
 いつも穏かな皇女の声が、こんなにも厳しくなるのを初めて聞いた。リボンの方がクリスタルと相性は良い様だったし、姫では恐らくクリスタルを持ち運べまい。皇女の言葉が正しいのは分かる。分かるが、分かりたくなかった。リボンの眼には堪えようも無く涙が浮かび、視界がぼやけた。ぼろぼろと流れる涙が止められなかった。でも、でも、と繰り返すリボンに、皇女は振り向いた。彼女は、笑っていた。
「お願いします、リボン。私最後のお願いを、どうか聞いてくれませんか」
「ひめ、さま…」
「行ってらっしゃい、リボン。どうか、貴女は健やかに」
 そう言うと、皇女は扉を開けて出て行った。部屋の中で姫様と泣き叫ぶリボンの声を聞いて、皇女の瞳にも膜が貼ったが、その足取りは揺ぎ無い物だった。私が、彼女を、リボンを守らなくては。その思いが、彼女を何よりも強くしていた。

 ミラとリアルが魔力の波動の元へ足を進めていると、階段の上から一人の少女が現れて、二人は足を止めた。謁見の間にいる時、こちらをずっと見ていた女王に良く似た風貌の少女――。眼の前の少女が何者か知ったミラは、唇に弧を描き、優雅に一礼した。
「これはこれは皇女殿下、ご機嫌麗しゅう」
「……ッこの、悪魔…」
 そんなミラに激しい憎悪を滾らせた瞳で、皇女が睨みつけると、ミラは肩を竦めてリアルを振り返った。
「えー、こんなイケメン捕まえて悪魔だってよ?」
「まあ、彼女から見たらそんなところだろうな」
 不平そうに唇を尖らせるミラを手で抑えて、リアルは皇女へ一歩進み出た。毅然とこちらを見返す皇女の瞳は強かったが、よく見ると皇女の体は恐怖故にかたかたと震えていた。それに痛ましさを覚えながら、リアルは口を開いた。
「クリスタルを渡してくれないか。大人しく渡してくれれば、危害は加えないと約束する」
「…その前に、聞かせて下さい。クリスタルを、何に使うつもりですか」
 リボンが行くまで、少しでも時間稼ぎをしなくてはならなかった。投げられたその問いに、ミラとリアルは互いをちらりと見た後、ミラが答えた。
「力が欲しいだけだ。亡くした人を、取り戻す為の力だ」
「…その為に、我らが同胞を傷つけ、クリスタルを奪うのですか…! 誰かの犠牲の上で成り立つ命なんて、その方は喜ぶのですか!」
「お前は何を言ってるんだ?」
 皇女の発言を、ミラは鼻で笑った。
「全ては何かの犠牲で成り立っている。命を繋ぐ為に他の生物を殺し、利益を貪る為に他者を陥れる。お前だってそうだろう、お姫様。王家は国民の犠牲の上に成り立つ物だろ」
「……そんな、事は。私達は、ただ助け合って…」
「ハッ、助け合い?搾取の間違いじゃねえの。強いものが弱いものを狩るのは、この世の真理だ。何、綺麗事言ってるんだ。自分が奪われる側になったからと言って道徳論を振り翳されても困るぜ?」
 それに、と笑いながら男は続ける。
「あの人が悲しむなんてとんでもない。きっと褒めてくれるさ、『国を滅ぼしたとは、腕を上げたじゃないか』ってな!」
 理解し得ない。他者を踏み躙る事に何の抵抗も感じていない、この男の理論は生涯理解出来ないだろうと皇女はここで悟った。人と人の繋がり、支え合いの素晴らしさを、この男達は何一つ信頼していないのだ。皇女が再度何か言おうと、震える口から言葉を発する前に、リアルは言った。
「…それで、クリスタルは何処にあるのか、そろそろ教えて貰おうか。時間稼ぎも、もう終わりだ」
 ――読まれていた。もう限界だ。そう皇女が覚悟した瞬間、魔方陣のある部屋から白い光が溢れ、その目を焼くばかりの強い輝きにミラ達も驚いて目を閉じた。あの輝きは、転移の光だ。リボンが無事に旅立った事に心底安堵した皇女は、張り詰めていた糸が切れたかの様にその場に座り込んだ。光はすぐに消えたが、同時に先程まで漂っていた魔力の気配もさっぱり失せていた。それに気がついたミラは、憎悪の篭った目で皇女の胸倉をきつく掴み上げた。
「やってくれるじゃねえか…クリスタルを何処へやった?」
「もう、この星には…ありませんッ…私にも、何処に行ったかは、知り、ません…っ」
「…ああ、そう」
 あの魔方陣は惑星の外へ出る為の物だ。今リボンが宇宙にいる事だけは確かだが、その先クリスタルが何処へ向かうかは彼女自身の意志に委ねられている。皇女のその言葉を聞き、眼を見て偽りが無いのを悟った途端、ミラは無表情になり、彼の右手に強い魔力を秘めた黒い靄がかかった。その靄に触れた箇所から爆発が起こる呪文。これで殴られれば、魔法に耐性の無い皇女の体は細かく砕け散るだろう。
勢い良く振り翳した拳が、皇女の顔に当たる寸前でミラはぴたりと手を止めた。リアルの剣が、ミラの首筋に当てられていたからだ。
「…何のつもりだ?」
「殺すな。まだ子供だろう」
「でも、王族だろ。禍根の芽は、残さないに限る。そうだろう?」
「……私じゃなくてお前なら、殺す以外にも方法はあるだろう」
 暫くミラはリアルをじっと眺めていたが、リアルが動かないのを見ると溜め息を吐いた。
「あー、分かった分かった!」
 そう言うと、ミラは手から力を抜き、皇女は彼の手から離れてどさりと床に倒れ、咳き込んだ。それを見て、リアルは刃を鞘に収めた。かちん、というその硬質な音に皇女が酸欠でぼやけた視界で彼らを見上げると、皇女の方に突き出されたミラの手に、赤い魔方陣が浮かんでいた。その魔方陣はミラの手の内で赤く輝いたかと思うと、次の瞬間皇女の下へと移動して彼女をその光の中へと取り込んだ。
 これは、良くない物だ。そう直感して、皇女の肌が粟立った。逃げなくては、と踏み出そうとした足は彼女の意志に逆らい、一歩も動かなかった。その異常に皇女が自らの足を見ると、皇女の足は石になっていた。魔方陣から発せさられる光を浴びた所からびしびしと音を立てて、肉が石へと変わる恐怖に皇女は慄いた。足、腰、胸、腕、首。恐怖と共に這い上がる石化の波は瞬く間に皇女の全身を覆った。
 ぱきん。と音が鳴ると、魔方陣は消えた。精巧に作られた少女の石像だけが、その場に残った。
「オレ達の復讐が終わって、気が向いたら戻してやるよ」
 その声は、もう鼓膜まで石と化した皇女の耳に届く事は無かった。

◆◆◆

 皇女が部屋を離れて暫くした後、リボンは魔方陣の力によって宙へと飛ばされていた。何処までも広がる黒い空に数多の星が煌く様は美しかったが、リボンはそんな物目に入らなかった。脳裏に浮かぶのは、大好きな姫の微笑みと、彼女の言葉だけだった。
「う、ううっ、ううううう!!」
 見開いた青い瞳からは、大きな涙がぼろぼろと流れ落ちて、宙にふわふわと漂った。悔しかった。無力な自分が悔しかった。大好きな姫を、助けたかった。リボンは泣きながら、抱えたクリスタルをきつく抱きしめて、ある願いをかけた。
「早く、あいつらから離れた所に、…あいつらを倒せる様な強い人の所に運んで、クリスタル…!」
 リボンがそう言うと、クリスタルは青い光を一際強くし、リボンを包み込んだ。そのまま一筋の青い光が黒い空のある一点を指し示したかと思うと、リボンをその先へと力強く運び出した。光は、星の形をした金色の惑星、ポップスターへと向かっていた。

 一方、ミラとリアルが先程白い光を発した部屋に入ると、部屋の中央には今も尚淡く光る魔方陣が描かれていた。
「これは?」
「転移の魔方陣だな。何処にクリスタルを飛ばしたかわかんねえけど、とりあえずオレ達も追うぞ」
 そう言うと、ミラは呪文を唱え、右手を床に着いた。途端、魔方陣は直径を広げ白い輝きも先程より遥かに増した。魔方陣の力を増幅させたのだ。そのままミラは魔方陣の中へ入ると、リアルの方へ振り返り手招きした。リアルがミラに従って魔方陣の中に入ると、足先から次第に感覚が薄れていった。視界まで真っ白に染まった瞬間、二人は足場が無くなったのを感じた。目に入った果ての無い壮大な黒い宇宙を見て、二人は転移が成功したのを知った。
 すぐに二人が辺りを探ると、黒い宙で一際輝く青い光が目に入った。先程まで感じていた力と、全く同じ波動だった。だが、二人からその光の距離は相当離れていたし、その光が進む速度は凄まじかった。空を駆けても追いつける速さでは無く、ミラは忌々しげに舌打ちをした。
「っ、アイツか…」
「止められるか?」
「分かんねえけど、一か八か、やるしかないな」
 そう言うとミラは、両手でばちばちと音を立てる雷の力を秘めた光弾を創り上げ、その光に向かって投げた。リアルもミラのその動きを見ると、下げていた剣を全身のばねを使って投げた。剣が光弾を刺し貫き、凄まじい勢いで青い光へと向かっていった。空を切る雷よりも素早く、黒い宇宙を刃が切り裂いていった。
「きゃあああああっ!!!」
 雷を纏った剣が青い光にぶつかった瞬間、リボンの身に強い衝撃が走り、彼女は悲鳴を上げた。雷を帯びた力を受けた為か、リボンの全身に痛みと痺れが走った。彼女を柔らかく包んでいた青い光の壁に剣が突き刺さり、光の壁はばらばらと崩れていた。
 ――もう、追手。リボンは恐怖の余り全身が震え出したが、それでも手にしたクリスタルは決して離さなかった。
「ッ、姫、様ぁ…!」
 どうか無事で。彼女の安否を思うと胸が張り裂けそうだ。彼女に託された願いの為にも、絶対渡さない。そう思い、より力強くクリスタルをリボンが抱きしめると、ピシリという音が鳴った。
「…え」
 その音にリボンがクリスタルをよく見ると、クリスタルの表面に細かい亀裂が入っていた。先ほどの衝撃に耐える為に、クリスタルはかなりのダメージを負ってしまったのだ。リボンの顔面から血の気がざぁ、と引くと同時に、クリスタルは嫌な音を立ててその亀裂を深くし始めた。
「えええ、ええええちょっと待って下さいクリスタル様お願い割れないで待って下さいー!!」
 リボンがそう悲痛な声で叫ぶのと同時に、クリスタルはパキィン、と響く音を立てて砕け散った。きらきらと輝くクリスタルの欠片が四方八方に飛び散った。リボンが慌ててそのクリスタルの欠片の一つを何とか掴むと、途端リボンの体はある一点を目指して勢い良く落ち始めた。
「うわっ、わわわわわ!! え、うわ!! きゃああああああ!!」
 先ほどまでクリスタルの光が差していた惑星、ポップスターへと、リボンは星の様に流れていった。

 その様子を、リアルとミラは呆然と眺めていた。
「…砕け、散った…」
「え、えー…、嘘だろ…」
 まさか、クリスタルが割れるとは、二人は全く考えても見なかった。目的が、果たせると思ったのに。クリスタルさえあれば、星の戦士を殺せると、復讐出来る力を手に入れられたのに。ゼロ様が、戻ると思ったのに。ミラは失意にがっくりと肩を落とし、膝を着いた。希望を自らの手で砕いてしまった。絶望が全身を覆うようだった。
 リアルもミラ程では無いが、気落ちしていた。何も果たせなかった。したのは、ただの無為な侵略と殺戮だけだ。淡い後悔に目を伏せていると、小さな青い光がリアルの目の端に入った。きらきらと輝くクリスタルの欠片が一つ、二人の近くにまで漂っていた。リアルがその欠片に手を伸ばすと、クリスタルはリアルの手にすっと納まった。欠片となっても強い力を秘めた魔水晶は、リアルの指を青い煌きで染めた。
「ミラ、まだ絶望するのは早いんじゃないか」
 そう言うと、項垂れるミラの視界に入る様に、リアルはクリスタルの欠片を彼に差し出した。
「…クリスタル!」
「欠片となっても…集めて、ゼロ様を戻す術と、星の戦士を倒す術を見つければ良いさ」
 その言葉に、力を無くしたミラの眼に少しずつ強い光が戻り始めた。ミラは差し出されたリアルの手を取り立ち上がり、気恥ずかしそうに笑った。情けない所を見られたが、完全に落ち込んだ気持ちが彼の言葉で起き上がっていた。そうして笑い合う二人の姿を、小さいクリスタルの欠片が映していた。