人のものより長い耳を傷つけない程度に歯で柔らかく噛んで、尖らせた舌を耳の中に入れてはわざと音を立てる様にして舐める。白い肌を少し赤めながら、潤んだ瞳で恨ましげに見上げる彼女がたまらなく愛しくて憎らしくて、自身に渦巻く感情がぐるぐると己を戒める。その夜の帳の中でも目立つ青い目から逃げるように、舌を耳から首筋へ移動させ、赤い痕を残していく。赤い首輪の様に、執拗に首に唇を落として白い肌に食いついた。その度に、少女の柔らかく温かい肢体が、ぴくりと跳ねる。それに気分を良くはしない。これが偽りだと知っているからだ。
「お前は、ばかだよ」
少女は笑う。今までの甘い雰囲気を全て払拭する冷えた声だった。
「……知っている」
見る夢はいつも悪夢だ。己の主人たるナイトメアが夢の中へ出てくる様になったのはいつだったか。最初は彼女が単に自分の悪夢を食らいに来たものだと思っていた。だが、彼女は妖艶な微笑みを浮かべて何もしなかった。どうしたのかと声をかけると彼女はマインドに抱きついた。常は浮かべないその媚びた表情と有り得ない行動に、マインドは思わず折れそうな程に細い腕を引き剥がした。すると「どれだけ自分に素直じゃないのかしら」と溜め息を吐くと、今度はその白い指先をマインドの顔に伸ばしては愛おしげに輪郭を撫でた。気味が悪いと思った。その手を再度強い力で撥ね退けても、彼女は気にした素振りもない。それどころか、少女はくつくつと笑いだした。
「……ねえ、お前の願望が見せた私ですら拒絶するの?」
「願望、だと」
では目の前にいるのは、己が創りだした願望が見せた夢なのか。そう分かった瞬間、己が如何に穢れた存在かをまざまざと叩きつけられた様な気がした。隠していた筈の彼女への想いがこれを産んだのか。何て、低俗で愚かな夢を。がんがんと頭痛がした。眼の前の主人の形をしたそれは柔らかく微笑んで、右手を伸ばした。
「こんな夢に見るまでに、求めていたと……?」
「そうよ、だってお前が今私を見ていること。そして私からお前に触れたいのが何よりの証拠だわ」
これこそ、悪夢だ。起きなくては、と心が叫ぶ反面、体はどうしてかその願望を現した少女の手を取ってしまった。目の前の悪夢は婀娜っぽく笑い、腕を絡めた。
「最近、良い夢を見ているみたいね?」
そう現実のナイトメアに言われ、マインドは体中から血の気が引いた。彼女は人の悪夢に入る事が出来る。彼女に浅ましい自分の夢が知られたのかと思い、いつも纏っていた仮面の笑みも皹が入ったように強張った。だが、その変化に気づかなかったナイトメアは不満げに続けた。
「お前が悪夢を見ないから、代わりの餌を探すのが面倒なのよ……」
お前の夢が一等美味しいのに、と呟いた少女の言葉にマインドは慄いた。あの夢が、悪夢だと思っていたあの夢が、己の中で悪夢と認識されなかったという事実に、マインドは自身の醜さを何よりも突き付けられ、体が貫かれたかの様な衝撃を受けた。何だそれは。悪夢では無かったのか。あれが。固く握りしめた拳の震えが止まらない。喉の奥に何かが貼り付いてしまった様に、言葉が出なかった。いつもの不敵な笑みすら消して無表情となったマインドのただならない様子に、ナイトメアは瞠目した。
「……どうしたの?」
思わず伸ばした手は、マインドが弾かれたように距離を取った為に触れることはなかった。そのままマインドは逃げるようにその場から去った。残されたナイトメアは、行き場のなくなった手を強く握りしめるしかなかった。そう、いつも悪夢ばかりで憔悴している彼を労わろうと、たまには良い夢をと届けたのに。少しは感謝されるかと、喜ぶかと思ったのに。
「何よ、……ばか」
(知っている、誰よりも馬鹿なことは何より自分が一番良く、分かっている。)