とある奇術師の話

※18.2.28再掲/ウィズの話。

 この世界では、魔法はおおよそ一人一種しか使えない。炎使いはその手から火炎しか産み出せないし、氷使いは氷塊しか産み出せない。だが、それだけでも彼らは人々から称賛、或いは畏怖の対象となった。世の中には魔法を使えない者が大半を占めていたからだ。
 ウィズという男も、魔力を全く持たずに産まれた。だが、彼は誰よりもその奇跡の様な力に焦がれており、どうしたらあんな事が出来るようになるだろうと幼い頃からずっと考えていた。魔力を使わない代替の仕組みを考えては試行錯誤を繰り返し、とうとう魔法の真似事なら出来るようになった。その技を必死で磨く内に、ウィズは誰よりも人を魅了する「奇術」という魔法を手にしていた。
 彼の手の中の火炎は踊り子の様に舞い、氷塊は一瞬の内に艶やかな彫像に。彼が手を翻せば、炎も水も光も闇も全てが彼に従う様だった。彼の魔法は、この世界のどの魔法よりも不思議で美しく夢に溢れていた。奇術師ウィズはこの世界で唯一の手品師であり、夢売り人だった。
「さあ、タネも仕掛けも御座います!」
 華やかなスポットライトの下で、挑戦的に彼は笑う。これは魔術に依る物では無いのだ。そう高らかに宣言して、彼は奇跡を観客に見せ続けていた。

 ――彼が事故にあう、その日まで。

「奇術師ウィズを知っているか?」
「勿論! 彼の手品には驚いたよ」
「ああ、でももう見られないのが残念だね」
「どうして?」
「彼、新しいマジックの最中に、自分の手を切り落としてしまったんだよ」

◆◆◆

 きらびやかな舞台、観客の歓声、繊細かつ大胆なイリュージョン。それらは最早、過去の栄光だ。だが、目を瞑れば今でも鮮やかに思い出せるだけにウィズは悔しかった。ああ、畜生。ウィズは手にした酒瓶を勢い良く煽った。安い酒が喉を焼いたが、彼の身に燻る悲痛は焼け落ちはしなかった。
 薄汚れた場末の酒場で彼は今日も酒を浴びる様に飲んでいた。酒にでも溺れていないとやっていられなかった。既に彼の周囲には空いた酒瓶がごろごろと転がっており、白髪を撫でた老年の酒場の主人がそれを見て顔を顰めていた。
 周囲からは他の客の喧しい笑い声が聞こえている。まるで自分を笑っているかの様に聞こえ、その声から逃げるようにウィズはまた酒を煽ろうとした所で、彼は持っていた酒瓶を取り落とした。がしゃんとガラス瓶が砕け散って、中身のワインがじわじわと木の床を汚していった。
「っ、すまん…!」
 慌てて掃除しようとウィズがしゃがむと、酔いで彼の上体がゆらりと揺れた。それを見た主人はふう、と溜め息を落としては呆れた様に言った。
「お客さん、片付けは良いから今日は帰んな。飲み過ぎだ」
 その言葉にウィズは渋々従った。その通りだと思ったからだ。金を迷惑賃がわりに少し多目に置いて、彼は入り口の戸を開けた。外は夜の帳がすっかりと降りている。少しばかり肌寒い夜風が彼の体に吹き付け、少しずつウィズの酔いを覚ましていった。
「…くそっ」
 手から滑り落ちていった酒瓶を思い出してウィズは歯噛みした。酒瓶を落としたのは酔いのせいでは無く、酒瓶を持った手に痺れを感じたからだった。

 一年前、奇術師ウィズと言えば誰もが知るマジシャンだった。彼がショーを開けばいつも席は満員で、眼前で繰り広げられる魔法の数々に皆が目を丸くして彼の技に魅入られていたものだった。そうして観客に夢を与えながらもウィズは決して現状に満足はしなかった。
「もっと凄いマジックをしよう。魔法以上の魔法を魅せなくては!」
 そう思った彼は努力を怠らず、常に目新しい奇想天外な術を編み出していた。そして彼の努力と比例するかの様に客は彼の技に熱狂した。
 だが、ある日のショーで彼は失敗してしまった。新しいマジックをしようとした結果、自らの左腕をすっぱりと切り落としてしまった。肉と神経がぶちりと切れ、手が肉体から離れていった光景は忘れたくとも忘れられない。それから、左手首と肘の中間ほどの位置にぐるりと皮膚の上を一周する縫い目が刻まれた。そして、一度体から離れた手は決死の努力で日常生活を送るには支障無い域まで回復したものの、それでもウィズにとっては致命的に動かなくなってしまっていた。
 奇術には繊細な手の動きが不可欠だった。それが出来なくなったウィズの転落は早いもので、満足に手を動かせなくなった彼の技は一気に精彩を欠いた。
 そうして時と人々に忘れられ、彼の技はすっかり過去の物となった。ウィズは、一度浴びたあのステージの光と熱狂を忘れる様にただ鬱々と酒を浴びる日々を続けていたのだ。

 はあ、と思わず吐いた溜め息は随分と酒臭かった。月光に青白く照らされた石畳の上を歩いて帰路に着きながら、ウィズは左手を握ったり開いたりを繰り返した。硬さが残るその動きを見て、ウィズは自嘲する様に笑った。
「何が奇術師だ……何も出来ない、ただの道化じゃないか」
 慟哭めいた呟きを零した彼の耳に、くすりと笑い声が届いた。思わず声のした方を見ると、前方に黒いフードを目深に被った男が面白そうにウィズを眺めていた。背の高いその男は全身を黒いマントで覆っており、家壁に肩を預けて立つ男の顔立ちは夜の暗さとフードで判別出来なかったが、楽し気に歪められた口許は十分視認出来た。
「……アンタ、今僕を笑ったのか?」
 強く睨みつけるも、男はどこ吹く風で肩を竦めるだけだった。
「おや、笑っちゃ不味かったかイ? 奇術師サン」
「……僕を知っているのか」
 うさん臭い口調の男の声は蔦の様に絡み付く。にやにやと笑う、他者を馬鹿にする様な笑みはウィズを苛立たせた。これは、ウィズが落ちぶれてから憐憫と共によく彼に向けられた類の物だった。
「勿論さァ。夢売り人の奇術師ウィズの名は有名だからねェ。魔法よりも魔法らしい奇術の技、誰もが目を惹きつけられる魅力的な舞台――そして、その転落と言ったら!」
 男は芝居がかった動きで手を広げると、険しくなるウィズの顔とは対照的に、唇を弧に吊り上げて楽し気に言葉を続ける。
「さっきはごめんねェ、あまりにも死んだ眼をしているものだから死人みたいでつい笑っちゃって。……いや、その継ぎ接ぎの手だとゾンビではなくフランケンの怪物が正解かなァ?」
 男の不躾な言葉に、ウィズの全身の血液は沸騰した。怒りで目の前が赤くなり、気が付くとウィズは手を堅く握り締め、男に向かって駆けていた。
「ッ……! アンタに僕の、何が分かるんだよ!!」
 衝動に任せて距離を詰め、殴りかかろうとした手は空を切った。居ない。目を丸くしたウィズの視界の端にひらりと男の黒い外套が映ったかと思うと、次の瞬間には男は冷たい金属を背後からウィズの首元へ素早く宛がっていた。何処から出したのかは分からないが、ぬめる様に艶めく大鎌の刃がそこにあった。
「……短気は早死にするよォ?」
「な、何なんだよ、お前はッ……死神ッ……?」
 耳元で言われた声は刃以上の冷たさを孕んでおり、ウィズの顔からはすっかり血の気が引いていた。
「アハハ、誤解しないでくれるかなァ。別に俺はそんな大層な者じゃあない」
  身の丈程もある大鎌に、黒い外套。思わず脳裏に浮かんだ死神という言葉を男は気に入ったらしい。体を震わせているウィズの首元から鎌を下げると、くつくつと笑い出した。
「まあ、君にとってはある種の神の使いと言えるかも知れないけどねェ」
「……何だって?」
 男の意図が読めず困惑するウィズを他所に、男は するりと手を伸ばすとウィズの左腕に触れた。
「君には願いがあるだろう」
 つ、と切断痕を撫でるその手は本当の死神の様に冷たかった。だがそれよりも、ウィズは続く彼の言葉に息を呑んだ。
「――俺と共にある場所へ来てくれたら、君のその願いを叶えよう」
 心臓が、どくりと脈打った。今まで死んでいた体に血液が循環する。期待と興奮で、彼の身体は小さく震え始めた。 ウィズにとっての願いは一つしかない。かつての様に自由自在に動く、利き腕だ。
「まさか、この手を治せるって言うのか!?」
 必死の形相で男に詰め寄ると、男はそんな様子を見て一層笑みを深くした。
「ああ、治せるよォ。ただ、君の願いが叶えられるのはその場所でのみの話だ。だが、その世界で暮らす限り君の願いは叶えられる」
「"その世界"……」
「そう。ここじゃない別の世界さァ。俺はこの世界で叶える事の出来ない望みを抱いた者を、その世界へと誘う案内人みたいなもの……かなァ?」
 男の言う話は唐突で突飛な物だったが、嘘を言っている様には感じられなかった。だが、これではこちらにメリットしかない。上手い話には裏があると分かっている。そうウィズは自身を諫めようとするも、その世界への興味と渇望は募るばかりだった。
「……なあ、その世界にも人間はいるのか?」
「勿論。この世界とさして変わらないと思ってくれて良いよォ」
 その世界には人がいる。つまり、自由に動く手に加えて、自分の技を見てくれる観客がいるのだ。あの歓声をまた浴びれる。ウィズの喉がごくりと鳴るのを、フードの奥から水色に光る眼が静かに捉えていた。夜の暗闇の中でも分かるその鮮やかな蛍光色は、男が人外である事を知らしめていた。
(これは、悪魔の誘いか……?)
 そう思っても、この悪魔の甘い言葉はウィズの心を揺るがすに充分過ぎる誘惑だった。左手が、興奮の為かびくびくと動いていた。まるで、早く動かしてくれ、魔法を使わせてくれと言っているかのようだった。突き付けられた選択に、ウィズの身体は固くなり、意図せず両手をきつく握り絞めていた。それに、彼は気付いてしまった。同じ様に握り締めた筈の両手だったが、一度切り落とされた左手は、右手より僅かに力が入らない。その落差に改めて気付いてしまった。それは、努力では埋められない、絶望的な差だった。ウィズは顔を上げた。もう、気持ちは固まっていた。
「ああ。他にも何か聞きたい事があれば教えてあげるけどォ?」
「いや、良いよ」
 ウィズにとっては、その世界でまた奇術が出来るのならば、最早他のどんな事も些事に等しかった。男の台詞を一蹴すると、男は少し驚いたようだったが、ふうん、と面白そうにウィズを見た。そんな男を真っ直ぐ見つめ、ウィズはゆっくりと口を開いた。
「僕は、奇術をまたやりたい。また魔法使いになりたい。それが叶うなら、地獄だって行ってやる」
「じゃあ、契約成立だ」
 男はそう言うと、フードを取った。ウィズは男の顔を見て、思わず息を呑んだ。月の光に照らされて光る白金の髪に、鮮やかに光る水色の瞳が、恐ろしい程整った顔の上にあった。奇跡の様なバランスで配置されたパーツの一つ一つが、ただただ美しかった。呆然とするウィズの眼前で、男の背後から淡い燐光と共に一枚の鏡がゆらりと現れた。黒い鏡面はまるで闇そのもので、何もかも飲み込みそうな気配がしたが、不思議と恐怖は感じなかった。
「君がこれから生きるのは鏡の国。現世の人間を取り込んで、現実より現らしくなろうとしている、矮小で、哀れで、そして素晴らしい魔力を秘めた世界だ」
 男はウィズに手を差し出した。
「君がそこから出る事は、恐らくもう無い。現世に未練があってももう遅いよォ?」
 そして男はにっこりと笑った。男が誘うのが地獄か天国か、男が天使か悪魔か、そんな物はもう関係が無かった。
「そんな物、とっくに無い」
 ウィズは迷う事無くその手を取り、鏡の中に消えた。

 その日、一人の人間がこの世界から消えた。


【設定】鏡の国:意志ある道具、ディメンションミラーが生成した世界。鏡は現実に近付きたいという願望を持ち、自らの中に多くの現世の人間を取り込もうと企てていた。ダークマインドは鏡と契約を交わし、鏡の国での全権を得る代わりに、沢山の人間を鏡の世界へ誘う事を約束した。鏡の国であれば万能となったダークマインドは、取り込んだ人々の願いを叶える代償に、カービィを倒す為の尖兵としての役割を与えた。己が願いを守る為に必死となった彼らの攻勢にはカービィも苦戦を強いられる事となる。