仮定世界の話をしよう

※64後、もしもツーが生きてたらの仮定世界の話。所謂ifです。

 ――虚無。

 ツーが重い瞼を開けて、視認した世界は正にそう言うしかない場所だった。空と大地の境界まで一面黒で塗り潰したそこは、生物も非生物も何も無く、ただどこまでも暗闇が続いていた。そこにツーはただ一人、ぽつりと立っていた。
 暗くて視界ははっきりとしなかったが、足元には水が流れているのだろう、ツーの細い素足にはしんと冷えた水の感触がする。足を動かすと、ぱしゃんと音がした。だが、知覚出来るのはそれだけだった。ツーは恐る恐る回りを見渡した。いつからここにいたのかも分からない。ここは何処だ。どうしてこんな場所に。直前の記憶を探ろうとも、意識に靄が掛かったように上手く頭が回らなかった。

「……ミラ、っリアル?」
 いつも側にいた二人の名を縋る様に呼んだが、返事はなかった。すぐ返ってくる筈の二人の声はいつまでも彼に掛けられる事は無い。そこでツーはとある光景を思い出した。ミラとリアルの帰りをファイナルスターで待つ、自分の目の前に現れた一人の少年と、妖精の少女の姿。それと、漂う血の臭いを。
「あ、あああ……!!」
 全身ががくがくと震えて止まらない。そうだ。二人はもう殺されてしまった。だから助けてくれる筈も無い。手も声も何も届かない所へ行ってしまった。呆然と膝の力が抜けて水に膝をつく。ばしゃん、と水音が響いた。そして、ツーはもう一つ思い出した。自分が星の戦士に負けた事を。二人の仇討ちは叶わなかった。
(ああああ、ごめんなさい、寂しい、情けない、怖い、死にたくない、ひとりにしないで……!)
 感情の堰が切れ、涙が溢れ零れた。ツーは自分の細い身体を抱き締め、眼を固く瞑ってぼろぼろと泣いた。自分でも驚く程体温が無い事に怖気が走った。誰もいない。もう何もない。闇に己の存在ごと喰われてしまったかのようだ。世界に一人しかいないという孤独と恐怖が、ツーの体をますます冷たくしていった。ツーは自分の細い身体をぎゅう、と抱き締めて眼を瞑った。

 そんな折に、ふと頬に何か暖かい物が触れた気がして、ツーは恐る恐る目を開いた。自分の回りに、蛍の様な燐光が舞っている。暗闇の中で唯一煌めくその光は淡い青を帯び、ふわふわと宙を漂っていた。それが時たまツーの肌に近づく度、冷えきった体にほんのりと熱を与えていた。光は暫くツーの回りを漂った後、ツーから離れて飛んでいった。
「これ、は……?」
 よく分からなかったが、ツーは導かれるようにその光を追って歩いていった。燐光はどうやら行き先があるらしく、決まった方角へふわふわと漂っていった。ぱしゃぱしゃと水音を立てながら、そのまま追い続けているとツーは一つの人影を見た。
 虚無の闇の中でその人影自体がぼんやりと光っており、その世界から浮かび上がる様に鮮明だった。近寄ると、その人影は鍛えられた体の長身の男だと言う事が分かった。ツーが追っていた光はふわふわとその男の方へ向かい、その指先でぴたりと止まったかと思うと、霧散した。男にどう声をかけるべきかツーが迷っていると、先に男がツーに気が付いた。

「……何だ。もう来てしまったのか」
 ツーの前の男は、彼を見ると呆れた様に笑った。赤味がかった白く長い髪に、褐色の肌。そして血の様に赤い瞳をしていた。自分ととても似ている。ツーはそう思った。
「幸せになれ、と言ったんだがな」
 男はぽそりとそう呟いた。何の事を言っているかよく分からず、ツーは少し首を傾げた。
「あなたは……誰?」
 ツーの疑問には答えず、男はツーに近寄ると彼の髪をくしゃりと撫でた。頭に触れた手は大きく、温かかった。
「また、ミラやリアルに、二人に会いたいか?」
 どうしてこの男は二人の事を知っているのか。そんな疑問も湧いたが、ツーは男を見上げてただこくりと頷いた。それを見て、満足そうに男は微笑んだ。男がツーの体に手を当てると、温かい光がじわじわとツーを包み、ツーの体も淡く発光し始めた。代わりに、闇の中で鮮やかに光っていた男はどんどん光を失っていった。
「大丈夫だ。お前さえ望むのなら、きっと出来る」
 闇と同化しそうな程黒くなった男は、それでも穏やかに笑っていた。
「お前は世界随一の魔術師。私でもあるのだから」

「だから、まだ死ぬのは早い」

 がつん、とした衝撃にツーは意識を取り戻した。思わず見開いた赤い目に映るのは、見慣れたファイナルスターの赤い空だった。生きている。それを実感した途端、激しい鋭痛が全身の神経を焼いた。五体全てが苦痛を訴えていた。中でも酷かったのは、腹に開いた穴だった。鋭利な刃物で貫かれた穴からは、心臓が動く度に血だけでは無く、命そのものも流れている気がした。

――だが、それでも。まだ生きている。