――虚無。
ツーが重い瞼を開けて、視認した世界は正にそう言うしかない場所だった。空と大地の境界まで一面黒で塗り潰したそこは、生物も非生物も何も無く、ただどこまでも暗闇が続いていた。そこにツーはただ一人、ぽつりと立っていた。
暗くて視界ははっきりとしなかったが、足元には水が流れているのだろう、ツーの細い素足にはしんと冷えた水の感触がする。足を動かすと、ぱしゃんと音がした。だが、知覚出来るのはそれだけだった。ツーは恐る恐る回りを見渡した。いつからここにいたのかも分からない。ここは何処だ。どうしてこんな場所に。直前の記憶を探ろうとも、意識に靄が掛かったように上手く頭が回らなかった。
そんな折に、ふと頬に何か暖かい物が触れた気がして、ツーは恐る恐る目を開いた。自分の回りに、蛍の様な燐光が舞っている。暗闇の中で唯一煌めくその光は淡い青を帯び、ふわふわと宙を漂っていた。それが時たまツーの肌に近づく度、冷えきった体にほんのりと熱を与えていた。光は暫くツーの回りを漂った後、ツーから離れて飛んでいった。
「これ、は……?」
よく分からなかったが、ツーは導かれるようにその光を追って歩いていった。燐光はどうやら行き先があるらしく、決まった方角へふわふわと漂っていった。ぱしゃぱしゃと水音を立てながら、そのまま追い続けているとツーは一つの人影を見た。
虚無の闇の中でその人影自体がぼんやりと光っており、その世界から浮かび上がる様に鮮明だった。近寄ると、その人影は鍛えられた体の長身の男だと言う事が分かった。ツーが追っていた光はふわふわとその男の方へ向かい、その指先でぴたりと止まったかと思うと、霧散した。男にどう声をかけるべきかツーが迷っていると、先に男がツーに気が付いた。
「……何だ。もう来てしまったのか」
ツーの前の男は、彼を見ると呆れた様に笑った。赤味がかった白く長い髪に、褐色の肌。そして血の様に赤い瞳をしていた。自分ととても似ている。ツーはそう思った。
「幸せになれ、と言ったんだがな」
男はぽそりとそう呟いた。何の事を言っているかよく分からず、ツーは少し首を傾げた。
「あなたは……誰?」
ツーの疑問には答えず、男はツーに近寄ると彼の髪をくしゃりと撫でた。頭に触れた手は大きく、温かかった。
「また、ミラやリアルに、二人に会いたいか?」
どうしてこの男は二人の事を知っているのか。そんな疑問も湧いたが、ツーは男を見上げてただこくりと頷いた。それを見て、満足そうに男は微笑んだ。男がツーの体に手を当てると、温かい光がじわじわとツーを包み、ツーの体も淡く発光し始めた。代わりに、闇の中で鮮やかに光っていた男はどんどん光を失っていった。
「大丈夫だ。お前さえ望むのなら、きっと出来る」
闇と同化しそうな程黒くなった男は、それでも穏やかに笑っていた。
「お前は世界随一の魔術師。私でもあるのだから」
「だから、まだ死ぬのは早い」
がつん、とした衝撃にツーは意識を取り戻した。思わず見開いた赤い目に映るのは、見慣れたファイナルスターの赤い空だった。生きている。それを実感した途端、激しい鋭痛が全身の神経を焼いた。五体全てが苦痛を訴えていた。中でも酷かったのは、腹に開いた穴だった。鋭利な刃物で貫かれた穴からは、心臓が動く度に血だけでは無く、命そのものも流れている気がした。
――だが、それでも。まだ生きている。