平和を壊す鐘の音

※自宅64の前日譚。

 鮮やかな青に、白い雲のコントラストが眩しい。目を庇う様にした指の隙間からは、きらきらとした陽の光が透けている。その眩しさに、いかにも旅人然とした格好の男は目を細めた。
 裾が少し綻びた薄茶のマントを纏い、男は通りを歩いていた。頭まで覆うマントのフードが柔らかい風にふわふわと揺れ動く。その風に運ばれた爽やかな花の香りは清清しく、気持ちも落ち着く様だ。
「うん。空気が美味しいって、こういう事か」
 横に視線をやれば、野には一面草花が溢れ、奥には青く茂る森と自然豊かな山が連なっているのが見えた。自分の言葉に感慨深く頷きながら、男は視線を戻した。
 前方には遠目からでも分かる程、外壁に覆われた立派な町が控えている。彼は気持ち良い気候に口笛を吹きながら、機嫌良く歩をその街へ進めていった。

「ようこそ、リップルスターへ!」
 街へ入る門を潜るや否や、背に薄羽を生やした少女が訪れる者にそう声を掛けて花を渡していた。この惑星、リップルスターは妖精が住まう星であり、住民は小柄で背に一対の透き通った羽を持つのが特徴だった。
「どーも」
 男の方にも近寄って来た少女に人好きのする笑顔を向けながら、男はひらひらと手を振った。少女は男の背に羽が無いのを見て、少しばかり瞠目した。
「お兄さん、外の人? 珍しい!」
「ああ、ちょっと観光に来たんだ」
「リップルスターは良いところだよ!ご飯も美味しいし、花もいっぱいできれいなの」
「そりゃ最高だ」
 これはお兄さんにサービスだよ、と少女から鮮やかな桃色の花を手渡された男はそれを興味深げにまじまじと見た後、ニッと彼女に笑いかけた。
「じゃあ折角だ、お勧めの飯屋でも教えてくれるか?」
「うん、えっと、そうだなぁ…この道を真っ直ぐ行った通りのパン屋さんはね、アップルパイが美味しいし…」
 妖精の少女は自分が好きな食事処やお勧めの花畑の場所などを挙げ列ねていった。男はそれにふむふむと頷きながら、正面に見える何棟か連なった白い塔を指差した。
「なあ、あれは聖堂か何かか?」
「あれは女王様のお城だよ。女王様もお城も凄く綺麗で素敵なの」
「ここは君主制なのか。しかし、綺麗な王城に女王様ね。それは一度見てみたいもんだ」
「見られるよ! 女王様はね、お昼をすぎたぐらいになると私たちと会ってくれるの。民の声を直接聞いてまつりごと…?、に生かすんだって」
「へえ……」
 誇らしげに自国の事を語る少女の傍ら、男はフードの下でその白亜の城をずっと見詰めていた。それは陽光の元できらきらと輝く様に、目を焼く様に眩かった。
「それはご立派な事で」

 少女と別れ、門から王城まで真っ直ぐ続くこの国一番の大通りを男は歩んでいく。左右には活気ある店達が並び、行き交う住民達の足音や飛行の羽音、快活な声に溢れて騒がしい程に明るい通りだった。
「お兄さん! 花蜜のジュースはどうだい!」
「宿はもう取ったかい? うちの宿に泊まるなら安くしとくよ!」
 旅人が珍しいのだろう、にこにこと話しかけてくる住民は人が良いと感じさせ、男の口元も綻んだ。
 街の中央に位置する噴水の前まで辿り着くと男は噴水の縁に腰掛け、途中で購入したアップルパイに齧り付いた。さくさくしたパイ生地に飴色に煮られた林檎の酸味が重なり、美味だった。少女が勧めただけあると舌鼓を打ちながら、男はパン屋の主人との会話を思い出していた。
「君は運が良いねえ。最近になって漸く外星と交流を持つようになったんだよ」
「どうして今まで国交を開かなかったんだ?」
「何でも、老臣の戦士が許さなかったらしい。そいつが死んでからはこうやって観光事業に力を入れ始めたのさ」
「なるほどなぁ……何にせよ、ラッキーだったよ。お陰でこんな良い星を見て回れるし、美味そうなパイも食えるんだからな!」
 男の言葉に店主は一層嬉しそうに笑い、サービスだとアップルパイをもう一つ紙袋に入れて寄越したのだった。
「うん、美味かった」
 口の周りのパイの欠片を舌で拾いながら、男は満足気に立ち上がった。そんな男に相変わらず住民達は笑顔で声を掛けてくる。それを軽々と躱しながら、男は真っ直ぐに歩を進めていった。
(ここは、良い国だな。のどかで、住民は皆が皆、人が良い)
 それはつまり、
――平和ボケしてるって事だ。

 男は唇を酷薄に歪めながら目的地へと向かった。白い石で作られた城門の前まで辿りつくと、開かれた城門の向こうには美しい白亜の城が建っているのが伺えた。
「さて、と」
 そのまま城へは向かわず、男はくるりと横へ向きを変える。城門から左右に広がる城壁に沿って進んでいく内に、男とよく似た旅装姿のすらりとした男が壁にもたれかかっているのが見えた。
「遅いぞ」
 彼は男を視界に捉えると、不服さを滲ませた声で開口一番にそう言い放った。
「待ち合わせを指定したのはお前だろう、ミラ。お前が遅れてどうする」
 フードをぱさりと取って、男――リアルは、この星では稀有な赤い眼でミラを不服げに睨めつけた。
「はは、悪ィ悪ィ! 色々見てたらすっかり遅くなっちまったわ」
「全く……」
 ミラが反省した素振りも見せずへらへらと詫びると、リアルはやれやれと言わんばかりに眉間を抑えながら溜め息を吐いた。
「あ、つーかお前どこから来たんだ? 街門から入ってないだろ?」
 街の住民は誰もがミラを物珍しそうに見ていたし、同じ外套を羽織っていた筈のリアルの話が彼らから上がる事も無かった。ここにミラより早く着いていた彼が街中を通ったとは考えにくく、疑問がミラの口をついた。
「ああ、警備が手薄そうな所の街壁を駆け上った」
「何で。街ん中観光して行けば良かったのに」
「これから攻め入る星の民だろう。見ると剣が鈍る」
「そういう感性、分かんねえなぁ……。まぁ良いや。ほら、これやるよ」
 そう言ってミラは先程のパン屋の紙袋をリアルに投げ渡した。彼はその紙袋の中を検めて、眉をしかめた。
「お前、私の話を聞いてたか?」
「別にお前が直接パン屋の顔を見た訳じゃねえから良いだろ」
 鼻をくすぐるバターがたっぷり入ったパイ生地と、甘い林檎の香り。確かな料理の腕があるのだろう。リアルはそれを売って生活している民の顔を嫌でも想像してしまうのだが、ミラはそんなリアルを心底不思議そうに見ては首を傾げているだけだ。
「あ、結構美味かったぞ」
「……。じゃあ、楽しみにしておく」
 邪気無く笑う彼を見て、リアルは相互理解を諦めた。後で食べようと紙袋を懐に仕舞いながら、彼は本題を問い掛ける。
「それで、いけそうなのか?」
 途端、先程まで快活に笑っていたミラの表情は嘲笑めいた物に切り替わった。
「……ああ、よほど争いとは無縁の街だったんだな。城が臣民に門扉を開きすぎだ。申請さえすれば、誰でも女王に謁見出来るってありえねえよ」
「城門や外壁の作り自体はしっかりしているのにな」
「ああ、そりゃあここにいた星の戦士の仕業だろう。星の戦士らしく、そいつだけが外敵を意識していたみてえだが……もう死んじまったらしいな」
 星の戦士について語るミラの目は憤怒でぎらついていた。星の戦士は各惑星を一族の一人が担当し、その星の平和を守るよう努めていた。世界にとっては守護者かもしれないが、ミラにとってはゼロを封印し、あまつさえゼロを殺した憎悪の対象にしかなり得ない。
 死んだというのは、カービィに全ての力を統合した故の結果だろう。それでゼロは死ぬ事になったが、この国に奇襲をかけやすくなったのは不幸中の幸いと言えた。
「ま、とにかくだ。商人だとでも名乗れば謁見許可は下りるだろうし、堂々と正面から行こうぜ。城っつーのは入るまでが一番難しいし、入っちまえばこっちのもんだ。そもそも、この調子なら兵士のレベルも知れてる。お前の剣なら一瞬じゃねえか?」
「それは、私を買いかぶり過ぎな気もするが……。まあ、時間稼ぎぐらいは頑張るさ」
 リアルは肩を竦めてそう言った。
 ――リップルスターの国宝、クリスタル。強力な力を秘めた魔水晶だ。ミラがそれを求めたのは、僅かな希望に縋る為だった。この莫大な力を得れば、ミラが創り上げた新しいゼロはかつての記憶を取り戻すかもしれなかった。そして、力を手にすればゼロを殺した星の戦士へ復讐も出来る。奴に死よりも辛い苦しみを味あわせてやれる。クリスタルの存在を知った彼は、一つの平和な惑星を侵略して宝を奪う事に少しの抵抗も無かった。
「……言っとくけど、怪我はすんなよ。無理もすんなよ」
「分かってる、私は大丈夫さ」
 切実さが滲んでいたミラの声に、リアルは鼓舞する様に彼の肩を軽く叩いた。ミラは、リアルもゼロの様にいなくなってしまうのではと恐れている。それを知っているから、リアルは未だ不安そうなミラの頭をわしゃわしゃと軽くかき回して、何でも無い様に振舞った。お前は私の心配をし過ぎだ、そこまで心配される程弱くない、というのが最近のリアルの口癖だった。
「お、おい、やめろって」
「じゃあお前も過度な心配はやめるんだな。私達なら問題ない。楽な仕事だよ、きっと」
 子供の様に扱われるのは癪だが、自分を励まそうとするリアルの心遣いが見られて何ともこそばゆく、ミラはかぶりをふった。こうも不安がるのは柄じゃなかった。らしくなかったな、と内心苦笑しつつ、ミラは以前よくしていた様に、好戦的な笑みを浮かべた。
「……ああ、そうだな。早く帰ってさっきのパイでも食おうぜ」
「フ、楽しみにしておくよ」
 二人は互いに目を合わせて笑い合うと、王城に続く門へ一歩を踏み出した。どこまでも白い王城が二人の前に聳えていた。

「――さぁて、クリスタル、頂いて行きますか!」
 ごおん、と遠くで教会の鐘が鳴った。その音は、まるで何かの始まりかの様にリップルスターに響き渡っていった。


【クリスタル】ハルカンドラの民の遺産の一つ。強力な魔力を秘めた魔水晶。夢の泉同様、設置した惑星の生命体の気質を従順にする力がある。リップルスター住民もその影響で非常に素直で純真。