彼を形作るもの

※3本編前のゼロ←ミラ。

 まるで人間の様に生きている。

 闇の物質を心臓とし、常人を超越した魔力を有しているというのに、睡眠や食事といった肉体の生命活動を維持する行為からは逃れられない。このファイナルスターにはレストランや食料品店も勿論ありはしないので――そもそもここにはぺんぺん草の一本すら生えることはない、飢えを感じたら面倒でも自ら包丁を持つしかない。外から飯炊き女でも拉致すれば楽なのかも知れないが、劣等種とも言える只人が拵えた料理なぞ、何より尊い御方とも言えるゼロの口に入れるべきではない。そういう理由から、ミラクルマターは自ら厨房に立っていた。
「あの、ゼロ様は何か食べたい物はありますか?」
 それなりに料理の腕が上がったと自負出来た頃にそう聞いた。今なら多少難しいリクエストだとしても応えられる自信があった。長椅子で本を読んでいたゼロはその赤い瞳だけちらりと寄越すと「何でも構わない、好きに作れ」と告げて視線を活字に戻してしまった。好物を作ってみせると息巻いていたのにいきなり出鼻を挫かれた。そういうのが一番困る。
「ですが、どうせなら貴方の好きな料理を作りたくて」
「……好きな料理か」
 ゼロは読んでいた本をぱたりと閉じると、少し悩む様に薄い唇に手を当てて目を伏せた。
「とは言ってもな。この身体を維持できるエネルギーが確保出来れば、本当に何でも良いんだが」
「ええとじゃあ、味にこだわりとか、好きな素材は」
「特に無いな」
 即答されてミラクルマターはがっくりと肩を落とした。こうはっきり言われてしまうと好物を作るもない。
「……あまり食には興味がない感じですか?」
「そうかもしれない。私にはよく分からないからな」
 分からない。分からないとは何だ。ゼロの味覚は少しばかりおかしいのだろうか。そう言えば、ミラクルマターの料理が下手だった頃も文句一つ言わず完食していた。
「甘いとか辛いとかそういうのは分かります……?」
「何を勘違いしているのか知らないが、味覚に異常はない。単に私には何が好ましいか判別がつかないという話だ」
 何だそれは。ゼロは目の前で呼吸をしているのに、まるで機械の様な答えだった。口が微かに震える。こちらを不思議そうに見ているゼロにとある予感がして、恐る恐る問いを投げかけた。
「……あの、ゼロ様は好きなものはないのですか。料理じゃなくても、趣味とか、場所とか。好きだ、と思えるものはないのですか」
 するとゼロは、ぱちぱちと目を瞬かせた後、意表を突かれた様な顔をして、小さく笑った。
「それは、考えたこともなかった」

 ――あんな悲しい答えがあるか。だん、と包丁が力任せに俎板に打ち付けられて、人参の欠片が空を飛んだ。赤い双眸から溢れ落ちる涙を腕で拭う。刻んだ玉葱のせいだけではなく、彼の答えがあまりに辛かった。彼には好ましく思える物がこの世界に一つとしていない、そもそも趣味嗜好を考える暇が彼の生において今まで存在しなかったという事実が、あまりにも寂しくて悔しかった。
「畜生、あんまりだろ」
 油を引いた鍋底に切った玉葱をぶち込みながら、またミラクルマターは泣けてきた。ゼロには幸せになって欲しかった。生きる楽しみを少しでも見出して欲しかった。部下である自分如きが烏滸がましいかもしれないが、彼の好きを見つける手伝いをしよう、と思った。
「まずは料理から、してみっか……」
 とりあえず、 彼が好きだと思える料理を探す為に、いろんな料理を作ってみるしかない。今日はカレーだ。

 今日のメニューは豚肉と瓜のトマト煮込みと海藻のサラダに、白パンを添えた。ゼロをじっと観察する。彼は機械的とも言える単調さで手を動かして完食した。時間にしておよそ十分程度の食事が終わると「馳走になった」と言って彼は食卓から立ち上がった。
「……昨日より二分遅いか」
 食べにくさもあったのかもしれないが、あまり好みでは無かったのかもしれない。そう頭にメモをして、次の献立を考える。  翌日のメニューはバターと香草を塗した魚のムニエルと南瓜のスープ、白米のセットにした。観察する。一通り口を付けた後は、スープを優先的に飲んでいた。口に合ったか、飲みやすかったか。これも頭にメモをした。
 毎食それを続けていたら、ある時ゼロと目が合いそうになったので慌てて目を反らした。ゼロの好きを見つける手伝いはしたいが、見つける事を彼に強制したくはない。だから、水面下で観察したかったのだが。何故か、今もゼロからじっと見られている。……居心地が悪い。
「ミラ」
「な、なんでしょうか!」
「……。いや、何でも無い。御馳走様」
 ふ、と笑った後、ゼロは食卓から立ち上がった。その姿を見て、心臓がばくばくと鳴った。彼に何か指摘を受けるかと思ったのもあるが、ふと彼が浮かべたその笑みが、びっくりする程優しかったからだ。

「はー……やっぱり好きな物を見つけるなんて無理か?」
 その後も数多のレシピから料理を作り、同じように観察を続けていたが、結局彼の好みというのはよく分からなかった。やはり自分如きが彼の好みを見つけるなど烏滸がましく、傲慢だったのかも知れないと諦観が強くなってきた。もう何を作れば良いのやら、とミラクルマターは一人台所で唸っていた。
「ミラ、少し良いか」
「は、はい! どうしましたか!」
 気が付けばゼロが後ろに立っていた。突然掛けられた声にびくりと振り返ると、彼はゆるりと微笑んだ。
「いや、今夜の食事の事だが。トマトを使った麺の料理があったろう。あれを作ってくれないか」
「は――」
 まさか、ゼロから直々にリクエストをしてくれるとは思わなかった。先程までの暗い気持ちはどこへやら、料理という料理を作りまくった甲斐があったと内心万歳をした。ミラクルマターは目をきらきらと輝かせながら「任せて下さい」とこくこくと頷いた。しかも、その料理はミラクルマターとしても好物だったので余計にやけてしまった。オレが好きな物をゼロ様も好いて下さるとは。こんな光栄な事は無い、と感動に浸っているミラクルマターに、ゼロはくすくすと笑いかけた。
「お前が嬉しそうに料理を食べていると私も楽しいんだ」
「……はい!?」
 待て。どういう意味だ。ゼロはまた、びっくりする程優しい目でこちらを見ていて、ミラクルマターは一気に耳まで赤くなった。そんな目で見ないで欲しい。死にそうになる。
「何、好きな料理の見つけ方と言うのは、こういう視点から入っても良いだろう?」
「……ま、待って下さい。ちょ、それ、どういう……」
「お前は優しい奴だな、という話だよ」
 そう言って、ゼロは台所から出ていった。暫く真っ赤になって固まっていたミラクルマターは、その後ずるずると腰が抜けた様に崩れ落ちた。彼には筒抜けだった様だ。こんな結果になるとは予想外だったし、本当の意味では彼の好物を作れなかったのかもしれないが、それでも。
「……あんな風に笑って下さる様になるなんて」
 嬉しさで死んでしまう。だって、あんな笑い方は機械にはとても出来ない。


暗黒物質BLアンソロ寄稿作品でした! 完売されたとのことでweb掲載。当時読んで下さった方はありがとうございました。